皆さんおはようございます。一の太刀でございます。
昨日、一昨日と日露首脳会談がありましたね。プーチンさんは柔道家でもあり、講道館にも訪問したとか。かの達人:山下泰裕さんとも交流が深いとのこと。しかしながら北方領土返還ははたして成せるのでしょうか…
では剣道のお話です。本日は「寒稽古」についてです。
今週は特にお寒うございました。もうすぐ年末。これからますます寒くなる季節に入ります。
そのような冬の寒い中、早朝に行う稽古を「寒稽古」といいますね。
あぁ寒い!!
「剣禅一致」「剣禅一如」
寒稽古で思うところは「精神修行」
そこからさらに連想されるものとして「剣と禅」となります。
仏教的要素が出てきてしまうと「奥が深すぎ」て今の私には理解ができません。兄弟弟子に有名なお寺で修行されている方がおるのですが、その者でも理解できているのかどうか…今度聞いてみたいと思います。
古い教えの中には「剣禅一致」や「剣禅一如」という言葉もございます。
剣禅一致(一如)についてあるサイトを引用いたします。
剣は生死の間に於て修行し、大死一番の境地に大活するものであり、禅は静思黙考の裡に大悟するものである。
あずれも生死を超越するところに、窮極においては剣禅全く相共通する一脈があることを教えている。
う~ん、「寒稽古で悟りを開く」難し過ぎますね。
最終目標かもしれませんが、とりあえずここまで考えるのはやめておきます。
「心」を鍛える
おそらくは寒稽古は「身体」を鍛えることはもとより、「心」を鍛えることを重要としているかと思います。
寒い中、筋肉が硬直しているとケガにもつながりやすいので、そういった意味で、野球選手などがシーズン前にキャンプをはる場所は大抵は温暖な気候の場所を選びます。
しかし、古くから僧侶や武道家は寒い中で滝に打たれたりしながら、「寒中○○」と称して修行していますね。
これらを行う理由は「精神修行」であり、「苦難や己の弱さに打ち勝つため」であるかと思います。
「克己心」
素晴らしい言葉ですね。己に勝つ!!
このための手段の一つが「寒稽古」になるのではないでしょうか。
となると「己に負けまくっている」わたくしめは、まだまだ7~8級レベルでしょうか…
しかしこの境地なら、がんばれば少しは近づくことができるような気もします。
「恐懼疑惑」を起こさない
そして克己心を養えた場合、どうなるのか。
現実的な状況を考えてみます。
・相手にビビることがない
・攻められても動じない
・相手の動きに惑わされない
・試合でも緊張しない
他にもあるかもしれませんが、こんなところでしょうか。
一言でいうと「恐懼疑惑」の心が起こらなくなるのでは と考えます。
余談ですが緊張やビビることがなくなった過去記事もよろしくお願いします。
■過去記事 緊張しない方法
自分の「心」を意思によりコントロールすることができれば、それは結構な武器となりますね。
「剣道」だけではない
己の欲や弱さを律することができるということは剣道だけでなく、勉強や仕事をし、人と接するにあたっても重要なものになるかと思います。
「剣の道は人間形成の道」でもあります!
全剣連の「剣道の理念」につながりました!
「寒稽古」は「人生の教え」に通ずる
こう考えますと、剣道のひとつの修行である「寒稽古」が、なんと「人生の教え」になり得てしまいます。
そしてその先には、「剣と禅」の思想になるのでしょうか。
おじいちゃんになるまで修行し続けたとしても、到達できるイメージがまるでわきません(泣)
おわりに
「冷たい空気を取り込んだ換気抜群の道場の中、相手と己に向き合い精神を鍛える」
う~ん、ストイックで硬派な感じがたまりません。
それにしても「寒稽古」は始まってしまえばよいですが、とにかく始まるまでがツラいですね!
くっそ寒い中、起きて間もない状況で稽古するのはどうしても身体が動きません。ケガをしたらどうすんのっ!?と言いたい状況であります。
しかし、その厳しい環境下で稽古することにも意味はありそうでしたね!
また、私はノスタルジーを感じやすいタチなので、寒稽古においても少年時代を思い出し、気合が入ります。
最近はめったに行う機会もなくなってしまいましたが、これを機にこれからの冬本番を精神修行の一つとして迎えたいと思います。
己を律せよ!
ではまた!
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