皆さんこんばんは。一の太刀でございます。
早速ですが剣道のお話です。本日は「人は天才の驚くべきプレーが好き」です。
小説でもドラマでも、漫画でも、良くあるストーリーとしては「まばゆいばかりの才能を持つ天才が努力して高見を目指す」と言うものがありますよね。
わかりやすい例ですと…バスケ漫画の「スラムダンク」や野球題材の小説「バッテリー」だったりでしょうか。
剣道漫画の金字塔「六三四の剣」なども、やはり溢れる才能を持つ六三四と修羅が中心となって進む物語です。
六三四はまるで太陽のような人物ですね。修羅はまさしく天才といってよいような、華麗な剣技をもつ男。周りを囲む日高、乾、有働なども際立ったキャラクターです。
現実でも全国トップ選手の試合は観ていて楽しいですよね。
もちろん私も想像を絶するプレーをする天才たちに魅了される一人です。
しかし、そのような現実や物語よりも、凡人が努力してそのトップスターたちに挑んでいくストーリーが好きなんです。
まあ、一言で言うと自分にリンクされる部分が多少なりともあるからでしょう。このブログもそうありたいと思い運営しています。
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なぜ天才のプレーに魅了されるのか
物覚えが良い人っていますよね。ちょっと教わるとすぐできてしまう。
また、剣道では試合での「勝負勘」ともいいましょうか。試合のセンスに長けている人々が確実に存在します。
全日本剣道連盟の目指すところの剣道がしっかりできていなくても、試合では無類の強さを発揮する方もいますよね。
おそらくは「精神面」や「戦略」などが非常に優れているのでしょう。当然努力も人一倍しているとは思います。
その方々の華やかで鮮やかな技は人々を魅了します。
なぜでしょうか。
私たちは自分ではどうやっても出来ないようなプレーやその動作の美しさ、力強さ、神がかり的な剣技を観たいと思っています。
神奈川の宮崎正裕先生の相手の剣先を抑えてからの「面」などは、他の誰もが真似してもそのレベル行きつけないことは、およそ想像に難くありません。
宮崎先生はいったいどれだけあの「面打ち」を全国レベルの大会で決めてきたのでしょうか。「努力の天才剣士」という異名をも持っている宮崎先生ですが、あの「面打ち」は天才的に思えます。
毎年11月に行われる全日本剣道選手権ではそのようなハイレベルな戦いに魅了されることもしばしば。「おー!!」とつい声をあげてしまう一本などに歓喜してしまいます。
物語ではそのようなスーパーな天才の方が絵になります。
しかし…
私は、それを憧れてみているだけでは嫌なのです(驚)
例えダメでも…
中学生の時の「衝撃」と「屈辱」
私自身を思い浮かべると中学生の時の経験が、そう思うようになったキッカケのひとつだったように感じます。
中学生になり、初めて道場以外の人々と試合をするようになりました。
幸運にも中2の秋の新人戦では市大会、地区大会と勝ち上がり、県大会に出場することができました。
レベルがそう高くない地域でしたが、それだけでも私にとっては凄いことでした。
一回戦で負けましたが、大会は決勝戦まで見学しました。
そこには私たちとは全く違う、「強い」とすぐわかる剣道をしている学校がいくつもありました。
それは私たちを自信喪失させるには十分なものでした。
決勝戦はまさに中学の全国レベルの学校が圧倒的強さで優勝しましたが、大将はその後も国士舘大学から某県警へ奉職して全日本に何度も出場したトップ選手となりました。
こりゃ自分たちには無理だとも感じました。
学校の顧問は剣道の経験があるというだけの先生で、部活の内容は私たち生徒が考えてやっていたくらいですから、指導というものはなんとか道場での稽古で補ったというような環境もその理由のひとつとなりましたでしょうか。
しかし、それでもがんばって中3の夏の個人戦では市大会優勝して県大会に進みました。
好きだったから何としても勝ちたかったのですね。幸運でもありました。
ところが県大会一回戦はもう早速相手に圧倒された試合内容。押し込まれ過ぎて全くこちらは打突できません。運よく「面抜き胴」が決まり、一本勝ちをしましたが、内容的には完全に負けていたのは一目瞭然。
そして次の相手がその顧問と話をしていたのが聞こえたのですが、「次の相手は余裕で勝てますね!!」
!!??
わざと聞こえるように言っていたのかな~(涙)
くっそー!と思いながら二回戦を戦いましたが、言うだけあって強いんです。
あえなく二本負けしました…
その相手もその後は某県警へ奉職。全日本にも1~2回出場程度の強豪選手です。
ところが、そんな彼らも全国では当時、たいしたものではないのですから、
全国トップってどんだけ強いんだよ!!と思ったものです。悔しさと絶望感で複雑な思いになった記憶があります。
それでもまるで自信のないところから県大会にまでは出場できたという経験から私は純粋にトップ選手をただの憧れとして見たくはなくなっていました。
「畏れ多くも」ではありますが、「何とかしたら勝てる道がどこかにあるのではないだろうか」という気持ちがいつも心のどこかに、今でもあります。
まあ、現実を見れていないだけかもしれませんがね(汗)
また、自分の性格を思うと、「反骨心」が強く、絶対的なものに対してどこか懐疑的に観てしまう「ひねくれ者」だからかもしれません(笑)
おわりに
しかし、私はそれでよいと思っています。
自分自身がまだプレーヤーだと思っているからです。
「同じ土俵に上がる可能性がある」
そんな思いを心にとどめていますから、嫉妬もすればその真似をしたくもなり、勝負の行方を想像します。
四十を超えて週一程度の稽古環境で限界もありましょうが、全日本の東京都予選会はこれからもエントリーして挑み続けたいと思います。
そんな私としては現実でも「名もなき剣士」が強豪を倒し続け、栄冠を手にすることを願ってやみません。
お伝えしたいものが伝わったか不安ではありますが
できれば私もレベルの程度はあっても近いものを経験できれば良いなと思いつつ、このお話を終えたいと思います。
次回はそのような「名もなき者の物語」のおススメのものをご紹介したいと思います。
ではまた!
コメント
こんにちは。いつも楽しみに拝見しています。一の太刀さんの気持ちすごくわかるしいいと思います。自分のための剣道ですので思ったようにやりたいですよね!私もそんな気持ちがあるのですが、あちこち痛いところが多く、思い切り稽古できてません。やはり体と相談し心も体もバランスが大事なんですね!これからも楽しみにしています!
あきんどさん、コメントありがとうございます!
身体が資本ですから、先ずは痛みが治るとよいですね!
単純なのでどうしても自分と重なるようなものに(凡人というところが)共感しやすいだけな気もします…
とにかくブログがんばります!
またお気軽にコメントくださいね!
よろしくお願いします。