【ニュース】「二本松少年隊」をしのび 剣道で学ぶ

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二本松市 霞ヶ城公園 二本松城

皆さんこんばんは。一の太刀でございます。

各地から豪雨被害の報告がされてきてます。東京は雨すらあまり降っていませんが、この高温多湿の気候がツラいところです。

被害にあわれた方々におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。

では剣道のお話です。本日は「福島県二本松市の歴史に学ぶ」です。

時は幕末、欧米列強の脅威がすぐそこまで来ていた時代。国内では尊王攘夷の気風が広まり、幕府は弱体化。ついには大政奉還せしめ、王政復古を経て明治政府が樹立されました。

その後、新政府軍と旧幕府軍勢力が戦った「戊辰戦争」

その時の現在の福島県二本松市にあった「二本松藩」でのお話です。

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二本松少年隊

戊辰戦争の際、二本松藩は旧幕府軍勢力として戦いました。

二本松の戦いにおいては仙台などの応援兵を含めても藩の兵力は約一千人。それに対して新政府軍は約七千人。

周りの小藩が降伏する中、二本松藩は奥羽越列藩同盟の信義を貫くために徹底抗戦を選びます。

「会津を助ける」

その戦いにおいて、二本松藩には12歳から17歳の少年たちで組織された隊が存在しました。

それが「二本松少年隊」です。

義に殉じた少年たち

各戦場に散らばった彼らは総勢62名。その内の西洋砲術師範:木村銃太郎(22)が率いた25名が特に有名で、大壇口での戦いにおいて木村をはじめその多くが戦死しました。

彼らは藩の「入れ年」という制度により、少年ながらも戦場へいく許可を得て、戦いました。

その鉄砲隊は勇猛果敢に戦い、大いに新政府軍を困らせたようです。しかし兵力の差はいかんともしがたく、少しずつ押され退却を決断。しかし隊長の木村が銃弾に倒れ、「もはやこれまで」と首を切れと副隊長に命じました。そして介錯。

隊長が倒れ、少年隊はばらばらになりながらも白兵戦を繰り広げ、その多くが戦死しました。

旧二本松藩主丹羽家菩提所の大隣寺には、戊辰戦争殉難者の戦死郡霊塔とともに、二本松少年隊隊長の木村銃太郎、副隊長の二階堂衛守、少年隊戦死者14人の供養塔が建立されています。

余談ですが、「少年隊」という名前は「戊辰戦争戦没者の50回忌法要」が行われるまでなかったそうです。

緊急で各部隊へ配属されたためだそうですね。

2017年7月23日 「少年隊こころの道場」開催

福島民報社「ふるさと大好き 地域の魅力活用プロジェクト」の一環で「少年隊こころの道場」が7月23日(日)に開かれました。

■福島民報 2017年7月25日

参加者は戊辰戦争で古里を守るために戦った二本松少年隊の心をしのび、剣道を通して武道の理念や礼儀、相手を敬う気持ちを学んだ。

2017年7月25日 福島民報 引用

歴史を学び、少年隊が受けた武士の躾にもつながる剣道の理念・礼儀を学ぶもののようです。

共催は二本松剣友会、大玉剣友会、本宮剣道スポ少、杉田剣心会、安達剣誠会、白沢剣友会。

二本松、本宮の両市、大玉村と各市村教委、二本松青年会議所(JC)の後援。

御菓子処日夏の協賛。

小中学生と父母ら約70人が参加とのことです。

二本松少年隊供養塔がある大隣寺へも訪れ、地元でおこった歴史を学び、郷土愛も育むものでしょう。

「古里を愛した二本松少年隊の心を胸に、剣道の稽古に一層励む」と誓いを新たにした。

2017年7月25日 福島民報 引用

参加者のお一人はこう語りました。

おわりに

岳温泉 桜坂

故郷を愛し、家族を守るために戦った少年たちを思うと、どうしても胸が締め付けられます。

戊辰戦争とはなんだったのか。

ともかく、現代を生きる私たちとしては、戦争のない世に生まれたこと、この時代を作ってくれた先人たちに感謝しつつ、剣道で学んだ礼節を忘れてはいけませんね!

ではまた!

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